うんぱおうじによるここんぱぶろぐ

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8歳くらいから父と話さなくなって

もう20年くらい経つ。

 

父と話さなくなる前からも

「洗車や風呂洗いなどをさせられていて

 自分は家族の何でも屋だ。」

とか

「玄関に靴がたくさん置いてある。

 俺の靴の置き場所がない。家族にいじめられている。」

といった長文のメールがよく父から届いていた。

きっと父は家族に不満がたまっていたのだろう。

 

しかし祖父が大借金をして、余計に父がピリつき始めた。

父がピリピリしてるなーと思いながら

寝転がって足をバタバタさせていたら

大激怒されたのが大きなキッカケとなった。

 

それからは、普通にしていても

なんだその顔は!とご飯中に言われて

テーブルを叩きながら大激怒された。

あの大きく見開いた目は今もバッチリ覚えている。

 

自分はキッチンに逃げ込み大号泣

激怒した父は、気に食わないので東京に戻る。

と言って、大きな音を立てながら用意をして

家を出ていく(単身赴任だった)

ということが何回もあった。

 

父が帰ってくると聞くたびに

今回は怒らせませんように。と祈り

細心の注意を払うが、3帰省のうち1帰省は

態度が気に食わないと大激怒されていた。

ご飯中に怒られることが多くて

ご飯の時間がとても嫌だった思い出がある。

自分がもっとちゃんと我慢できれば

父は怒らず、母も嫌な思いをしなかったのに。

とかいつも思っていた。

 

楽しくご飯を食べないと怒られるが

父が怖くて楽しそうにできない日々が続き

悪循環で余計怒られ、話せず話せず

高校生の時に、あと何年もこんな家にいるのは無理だ。

と思い、高校を中退し家を出た。

 

父は私の育成にかかった費用と

普段の生活にかかっている費用をまとめた紙を出して

ドブに捨てたのと同じ。と家を出る私に見せてきた。

 

その時、家族を解散するので家を売る。という話になった。

それから、母からは

「自分だけ逃げていい思いをしないで

 父が単身赴任から家に帰ってくる時だけでいいから

 家にいて明るい家族を演じて欲しい。

 今のあなたは現実から逃げたお姫様みたい。」

といったメールが毎日来た。

母の妹にバイト先(ローソン)がバレていたので

ローソンのレジで

「お母さんに嫌な思いをさせないで」と、母の妹に怒られた。

副店長に見られて心配された。

 

その後も、母の父(祖父)にも

「お母さんを悲しませないでくれ」と泣きながら言われた。

祖父は大借金を背負っており

馬車馬のように働いていたので

その影響かしばらくしてから倒れ、亡くなった。

お葬式は泣けなかった。

 

そんな母は私が高校生の時に、職場の人と不倫をしていた。

私にミニスカートを履くな。と言っていた母が

ミニスカートを履き始めた。

毎日電話をしていて、私の愚痴を言う声が聞こえた。

母と喧嘩になった時

「自分は不倫してるくせに偉そうなこと言うな」と言ったことがある。

母は「職場の人を悪く言うな」と泣きながら言った。

その後みたパソコンには

「豊胸 シリコン」という検索履歴が残っていた。

 

私が高校をやめる少し前、母の不倫相手が家に来た。

母が職場を退職することになったときだった。

私は卒業式に弾いた「旅立ちの日に」の伴奏をして

母は伴奏に合わせて、歌を歌った。

私は不倫相手に「がんばれよ」と言われた。謎である。

ちなみに不倫相手は、小泉孝太郎に似ていた。

 

話が母にズレてしまった。

私が22歳くらいの頃、父の実家に行った際

父は自分の親に

「俺の娘綺麗でしょー、親バカですわ。

 昔は自分に似ていてどうしようかと思った。」

と言って嬉しそうに笑った。

私も不機嫌にさせまいと、フフフと笑った。

 

自分に似た不細工で、態度が気に入らない娘から

嫁に似てきた自慢の娘になったらしい。

 

最初から母に似ていたら

父と話さない20年間は生まれていなかったのだろうかo(^o^)o